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堀川緑化計画  

2008年 08月 27日

以前、取り上げました堀川の一条戻り橋あたりはただいま、
緑地計画のため、工事中です。

春ぐらいからもうすぐできあがるなぁ、と思いつつできあがらないですね。

堀川は平安時代から川底が谷のように深いことが歴史的に有名だったのです。
そして、昭和30年代なかばぐらいまでは実際、川もながれていましたが、
この工事が始まるまで、枯れ川でした。

でも、大雨が降るときなどは、この川も付近の雨水を集約していたので、
いざというときはたのもしい気もしていたのですが・・・・

私としては、このように安易に、公園をつくってもいいのかなぁ~という気もしないではないです。

ただ、この手の公園は、管理が大変かな?っていう気がするんですよね。
行政って、ときどき、ヘンなことに大枚はたいているような気が・・・

しばらくは成り行きを静観するつもりです。

# by kyoutonotabi | 2008-08-27 20:41 | 上京区

イノダコーヒ本店  

2008年 08月 26日

今回は、繁華街のほうへ行ってみます。

京都は神社仏閣が全国的に有名ですが、意外と京都の人は
新し物好きという一面もあります。

老舗で戦前から続いてきた名物喫茶店もいくつもあります。
このイノダコーヒもその一つ。
「イノダコーヒ」はコーヒーと記さないのが一つの特徴かも。
広い店内、そして坪庭的な後ろの木々の植え込み。
贅沢な大理石の飾り板、ステンドグラス、天井まで届く面取りが施されたガラス窓、
そして中廊下のスペイン風な泉・・・・とても落ち着きます。

店内は、音楽もなく、人々の静かなささやきと食器が触れ合う音だけが聞こえます。
おいしいお菓子とコーヒーで、いつもの会話もさらにはずみます。
たのしそうに会話しておられるみたいですね。


イノダコーヒは喫煙室と禁煙室とは別々の建物。その中間の細い小路は
レンガで泉のように水がたまっています。常に、水は光に乱反射して、キラキラとひかっているのが、潤いのある空間をさらに演出していますね。
どことなく、懐かしいようで、エキゾチックなのがこの本店の魅力だと思います。




夏限定の甘夏のケーキ。

そして、味も伝統を守った落ち着いたもの、
今風の華やかさはないけれど、それが却ってこの町と似合っているかもしれないですね。

ケーキは銀座の「ケテル」のものです。ここのコーヒーはちょっとストロングですので
こういうこっくりしたドイツ風のお菓子がとても似合いますね。

# by kyoutonotabi | 2008-08-26 19:45 | 中京区

西陣の町屋  

2008年 08月 09日


みなさま、久しくご無沙汰でした。

私は、雪国育ちのせいか、めっぽう暑さには弱くて・・・・
地球温暖化のせいか、年を追うごとに夏の暑さは長くて厳しいものに変わりつつあるように思います。みなさまも熱中症にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいね。


今回は、歴史建造物とういう視点をはなれて、私の住んでいる地域界隈をご紹介しますね。
みなさま、「町屋」ってことば、御存じですか?

町屋とは、商人のすんでいる民家のことを指します。また住居部分だけではなく、お店の部分も兼ねていました。ですから、門などはなく、直接道に面しています。そして格子戸があるのが特徴です。西陣は、織物のまちですから当然こうした町屋が多く、格子戸も「糸屋格子」とよばれるものが大変多いです。


京都は何度も何度も火事にあってますので、実は町屋も、それほど古い歴史をもつものはありません・・・。古いものでも、せいぜいで幕末あたりの時代に建てられたものがほとんどです。
ただし、こういった家は新建材など一切つかってませんので、日に日にあちこちがいたんできます。今は、昔のような腕をもった左官屋さんや瓦屋さんなどがいなくなったので修理するのも時間とお金がものすごくかかってしまい、維持しきれなくなって、代が変わると壊してしまう家がほとんどです・・・・・。

けれども、なんとか観光客にアピールしたり、喫茶店にしたりして、古い町屋を残そうと努力しているところも見かけます。

ここは、外国人にもわかるような看板をかかげています。
べんがら格子がとても美しいです。



ここは、赤ちゃんとお母さん専用のカフェだそうです・・・。お母さんだってたまには
のんびりお茶をのみたいですわね・・・。

この家の門の意匠は素晴らしいです。これはやはり西陣の豪商だからできる細工かな?と思わせるような見事な出来ですね!



最後は私の家のすぐそばのお寺さんの門からのぞいた庭です。
さるすべりの花がさかりですね。本当にきれいです・・・・。

# by kyoutonotabi | 2008-08-09 17:12 | 上京区

聚楽第の夢のあと  松永稲荷と鵲大師堂  

2008年 07月 02日


前回に引き続き、聚楽第の遺構を取り上げます。

今回は「梅雨の井」からさらに南に下がったところの松屋町通出水上る東側に
「松永稲荷」という小さな祠があります。これだけをみると別になんの変哲もないものなのですが、このお稲荷さんのすぐ近くに、「?」な御堂があるのです。



この御堂は突然、道のつきあたりに人家に交じってあるのですが、
お地蔵さんの祠にしては妙に大きいし、かといって場所を示す扁額も何もないので
なんかとても不思議です・・・・・。
一言でいうと、とても「怪しい」!・・・・まるで『どろろ』の中に存在する御堂のよう・・・・・。

いつも、通るたびに「ここ、なんなのかな?」
と思っていました。



この御堂をよく観察すると梵語で書かれた額、「南無遍照金剛」「弘法大師」といった単語で、
どうやら真言宗系の御堂であることがわかりました。仕方がないので図書館で宅地地図を
みると「大日大師堂」としか載っていません・・・・んな、適当な・・・。

この御堂の桟のすきまから中をのぞくと(失礼)「鵲弘法大師」という提灯がつり下がっています。


実は、私が大学に在籍しているときに、「地元の遺構をテーマにして調査しなさい」という
課題がでて、私がまっさきに思いついたのがこの御堂でした・・・・。

この御堂のすぐ近くの「松永稲荷」に話は戻ります。



そこには、昭和7年に建立された「聚楽城 鵲橋の旧跡」という石碑がありますので、比較的その由緒をたどるのが、簡単でした・・・・・。





しかし、ここは調べてみると、聚楽第の堀にあたっており、その堀にかかっている名前としては「鵲橋」というのは少々、典雅すぎておかしいのではないか・・・・とも考えたのです。
もともと「鵲橋」というのは、七夕伝説に起因しており、7月7日にかささぎが作った橋で
織姫と彦星が天の川を渡って出会えるという伝説があります。

また、大伴家持の「かささぎの 渡せる橋におく霜の 白きをみれば 夜ぞふけにける」
という非常に有名な歌もあります。

昔、御所のお庭にやはり、「鵲橋」とよばれる橋がかかっていたということから、
この橋な実用的なものでなく、庭園を彩るアイテムのひとつだったのか?などと思われることぐらいしかなく、結局、なぜ、この橋が「鵲橋」と呼ばれるようになったのかはわからずじまい・・・・。

ここに鵲大明神と白玉大明神とかかれた石碑があります。
この白玉というのは、この地が天然の清水がよく湧いた地であるところから
このような名前がつけられたものと一応の推測ができます。




そして、このなぞの御堂も調べていくうちに、ここに祭られている大日如来は
この近くの井戸から発見されたという言い伝えがあった、ということがわかり、
やはり「松永稲荷」とセットにした遺構だということだけはわかったけれど・・・・。

なぜ、ここが「松永」という名前なのか、なぜ密教の御堂とお稲荷さんなのか?
いつ頃たてられたものなのか?もともと一緒のものだったのか?などなど・・・・

詳しいことは、まったくといっていいほどわかりませんでした。

でも、これらの遺構については、またおいおい調べていきたいと思います。
知っている方がいれば、ぜひお知らせください・・・・。

# by kyoutonotabi | 2008-07-02 19:57 | 上京区

聚楽第の夢のあと  梅雨の井  

2008年 06月 23日



聚楽第という名前は巷間ではよく知られてますが、実際ははかない建物です。。
建てられた、と思ったらすぐに壊されている・・・・。
天正15年(1587)から文禄4年(1595)と10年も地上に存在しなかったまぼろしの御殿です。

今日は、そんな聚楽第にまつわる遺構の一つを紹介したいと思います。
場所は大宮通り下長者町上がる・・・。ハローワーク西陣から50Mほど南に
向かったところにあります・・・ありました・・・
今は通りにぼろぼろの看板だけが残されています・・・・



どう表現したらいいのか。今は井戸そのものが破壊されてないのです。





どうも、井戸そのものは昭和30年代に倒壊したと思われます。
その後、汲み上げ式ポンプで井戸水をくみ上げて付近の住民が
使っていたようです・・・・
また、ここには井戸が存在していたのと同時に八雲神社というのがあり
神木といわれた「トチの木」というのもありました。
そして、今は全く、存在が確認できませんが、この近所に
豊国神社の御旅所というのもあったようです。

しかし、今はご覧のとおり、井戸があった場所すらわかりません。

どうして、こうなってしまったのか・・・
一説によれば、バブルで土地が高騰していたとき、この土地も投機の対象として
売却されたとか・・・・



私は一度、この場所を聚楽第の遺構として大学のレポートを書くため、
おとずれた事があったのですが、こうまでひどくはなかった・・・。
今は立ち入り禁止の札がかかっています・・・・。

京都は、いろいろな遺跡や遺構が多いまちです。
文化財として、大切に保存されているものが多い一方で
このように、滅びかけている遺構も結構多いのです。

なんでもかんでも守ろう!とはいいませんが、せめて、
このようになる前に、行政の力でなんとかできないものだろうか?と
思ってしまいます。

人は、よくわかる文化財には興味をもって観光する人がいっぱいいますが、
実はこのようなものも歴史的遺構としては結構大事だったりするわけです。

壊す前には、調査をして資料にして残しておかないと、
本当のことがわからなくなる・・・・。
ここも、ほとんど、わからなくなりつつあります。


# by kyoutonotabi | 2008-06-23 16:50 | 上京区

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